交叉点24

明高24回生通信

25/May./ 2006
No.15 
「すずめ百まで」 角 正一郎  先生
「私は コレ!」 3年7組 松浦(岡本)光代  さん
「明高関係者の皆様、同期の皆様お変わりありませんか?」 3年8組 西光雄  君
「ふるさと」 3 年 8 組 森崎 ( 中島 ) 扶喜  さん
「♪  Parsifal 3年6組   上村千尋 君
「皆さん、元気していますか?」 青木(木村)恵美子  さん
『編集後記 』 中村 守

 

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「すずめ百まで」

角 正一郎

 

明高二十四回生の皆さんが卒業して三十四年が過ぎた。光陰矢の如しである。あの頃の私は、何はともあれ受験を控えた皆さんのためにと無我夢中で授業を展開した。教科書はさておき、時間があれば橋本純次著の赤チャート式の数学参考書を片手に入試問題を解きまくった。少なくとも一日平均二時間を教材研究に当てたのもこの頃である。従って家事保育の手伝いは一切しなかった。現在では通用しないことで、家内に迷惑をかけた。

卒業時の明高新聞には、「高校三年間で一番苦しめられたものといえば何といっても数学、じわじわとせめられて三年…」という酷評をもらったのも理解できる。指導者としての心の余裕がなかったからである。

数学の問題を解くプロセスで、格調の高い問題ならば始めはジェットコースターに乗りスリル満点の気分から四苦八苦して解けたとき、そう快な気分に変る楽しさを味わえたはずだ。その機会が少なかったのであろう。

視点を変えて、問題を作成する立場で述べるなら、ある物を幾つもの扉で次々と隠して行く。さてと、次は自分でその扉を開けようとすると、扉のカギのかけ方次第で似ても似つかぬ物に変身したり、高度な技術を使わないとその物が取り出せない。失敗の連続である。そのとき、問題そのものよりもっと凄いことに気がつくことがある。体験した者でないと味わえないが、問題解決のための方法や意思決定の源にもなっているのである。

数学は平素の授業では何とか理解できても、応用力を必要とする入試のための数学となると一層の努力が肝要。卒業後も継続して高校程度の数学の学力を維持して行くとなると至難の業である。数学で生計を立てている人を除いて、センター試験程度の問題を難なく解ける人は、定期預金の利率よりもっと低い割合ではなかろうか。
 

 

さて、人間の記憶力に挑戦して円周率の値を83,431桁まで、13時間かけて暗唱に成功した日本人に原口 證という方がおられる。むろん世界記録だ。不規則にならぶ数字を暗記することの難しさはたとえようがない。ちなみに私は6桁である。現在小学校で学ぶ円周率は3でよしとする考え方とは次元が違うが、仮に円周率を3とするなら、正六角形の辺の長さと、これに外接する円の周の長さとは等しいことになる。証明は省略するが、私には到底受け入れることはできない。

少し話が脱線したが、記憶力を少しでも維持するために、また認知症にならないように心掛けるためにと、あるところで私と同年輩ぐらいの方から相談をうけたことがある。陰山英男先生の、「百マスの計算」をしたら効果はあるか。ニンテンドーの「脳を鍛える大人のDSトレーニング」はどうかという類のものである。小学校低学年の孫と一緒にやってみたものの、私自身全然興味が湧かない。常に正確に適当な速さですればよいと思うからだ。「好き好きでしょうなあ。私には効力はなさそうです。」としか答えようがない。

しかし、囲碁の話題になると豹変する。若い時から職場で囲碁の師匠を見つけて囲碁の研究に時間をおしまない。明高では幸運にも今はなき中村隆次先生(当時五段)に随分教えを乞うた。
 
 

 

三平方の定理、二次方程式の解の公式ぐらいはわかるとしても、ド・モルガンの法則、アポロニウスの円、加法定理となるとそれ何ですか。いわんや、ケイリー・ハミルトンの定理をどんなときに使うのかと理系の方に問うと、「そんなもの知らなくても不自由していない」と答が返ってくるに違いない。すべて知らなくても日常生活に必要のないものばかりである。

今、教育界において、経済学の考え方を日常生活に適用させる課題に取り組もうとしている。高校生にも経済学の充実した教育を受けさせる。そうでないと殆どの成人に経済の機能や富の創造過程で自らの役割を学ぶ機会が与えられないことになる。年金や医療、介護保険の仕組みを理解することなく、保険料だけは徴収するというのは若年層の方にとっては、素直に受け入れることはできない。将来が不安で予測できないからである。しかし、責任もって経済を教えられる教師は高校にはいないのが現状である。経済学と数学とは無縁であるとは云えない。金利・投資市場・株式などは計算能力と統計の考え方が不可欠だからである。
 

 

平成九年に退職して十年目を迎えたが、体力は駄目でも研究する気力は衰えていない。今年一月には、教職員の現役・OBを合わせた全国囲碁大会の4段までの段位戦で県代表として出場した。東京都千代田区の日本棋院会館で対局した。年をとっても気力の向上の証ができて、とてもうれしかった。

数学と囲碁。この二つは私の人生で、掛け替えのない宝物だ。これによって多くの人との出合いがあった。すずめ百まで踊りを忘れず、命のある限りこの二つを大事にして持ち続けて行こうと思う。
 

次期学習指導要領には、「ゆとり教育」から「言葉の力の教育」へと教育方針が転換されるようであるが、原案には、『言葉は確かな学力を形成するための基盤。他者を理解し、自分を表現し、社会と対話するための手段で、知的活動や感性・情緒の基礎となる。』 数学・理科では、『数量的なデータを解釈して、グラフ化したり、仮説を立てて、実験・評価したりする』としている。今後の数学の教科書はかなり内容が書きかえられてもおかしくない。いやもっと進化しなければならないと思う。今から二十年後、現在と同じような内容の数学の教科書であるとすれば、やがては理数・金融経済の弱い日本国として先進国から笑いものにされるに違いない。

 

皆さんの今後のご発展とご多幸を祈念して。

 

 
 

「私は コレ!」

松浦(岡本)光代

 

皆様お元気でいらっしゃいますか。 1-6 、 2-9 、 3-7 の岡本光代(錦城中学出身)です。

毎年の「交叉点」を拝見する度に在学中にお知り合いになれなかった方がいかに多いか、また三十年たち新たな知己を得た気分になります。

 昭和五十一年から両親の手伝いを始めた家業も、環境の変化に加え将来の見通しも立たないので平成十年に廃業しました、その後縁あって今の仕事に就いて三年目、薬品卸の管理ですが資格のおかげでアルバイトさせてもらってます。

今までの疲れからかあるいは年齢のせいなのか体調をくずして数年、曇り空の下をトボトボ歩くような日々を過ごしていましたが、知命という人生の節目にこれから何を目標に生きていこうかと考え「自分を楽しませよう 自分を甘やかそう」と思い立ちました。今までだってわがままだったよとの外野の声に負けず映画も美術館も旅行も行きたいときには行くと決めました・・努力目標かな?

「シービスケット」から始めて、「トロイ」パリスは美男子!「キングアーサー」アーサー王ってこんな人?「オペラ座の怪人」音曲が素敵、「アビエーター」大富豪なのに強迫神経症は気の毒。「シャルウイダンス」誰か私に赤いバラをください、「キングダムオブヘブン」十字軍の話は大好き。「ミリオンダラーベイビー」サクセスストーリーだけじゃなかった、「バットマンビギンズ」アメコミなのにイギリスの香り  etc 。 主人と見た「クローサー」、次男が同行の「カリブの海賊」以外はレディスディに一人で夢を見ています。横文字をカタカナにしただけの題名ばかり流行るのはいかがなものかと思います。
 

 

神戸市立博物館の「ドレスデン美術館展」や「ナポレオンとヴェルサイユ展」は見ごたえがあり、ドイツにもフランスにも行ったことないおばさんに、どうぞまた見に来てねと誘ってくれる素晴しい美術品でいっぱいでした。

そしてもうひとつ 気功と自力整体も自分のペースで体の内面を調節できるので週一回のレッスンが楽しみです。普段の生活では背骨や筋肉など考えてもいませんが、指先から天の気を吸収して腕、肩、胸、腹、太腿と巡らせて、足の裏から大地へ気を戻しましょうと意識するのはとても気持ちがいいものです。レッスンが終わると体内の邪気がなくなったような気分になるのは私だけなのでしょうか。

この原稿依頼をいただいた時はトリノ五輪開催中で、荒川静香さんの美しいイナバウアーが連日TVに映っており、私もちょっとまねてみたら背中がぎくっとなりあわててシップを貼りました。採点の対象にならなくても自分らしい技だからとあえてイナバウアーを演技しつづけたその意志の強さ見習いたい。さて 私はコレ!!という自分らしさをいつかは見つけたいものです。
 
 
 

「明高関係者の皆様、同期の皆様お変わりありませんか?」

西光雄

卒業から30数年が過ぎ私も52歳のオヤジになりました。 明高を卒業して大学受験で志望校への入試に失敗、1年間の浪人生活の後、関西大学の工学部金属工学科に合格しました。 私にとって浪人生活は、その後の人生で今の自分の「礎」を形成した大変重要な1年でした。 人に優しく自分に厳しく、そして「浪人」と言う「苦い経験」をした事で「人の心の痛み」が判る人間になれた様に思います。 大学では、混声合唱団「葦」と言うサークルに入部し、明高の先輩とも出会えました。 高校時代では人見知り して初対面の女生徒に自分から声を掛ける事も出来ないほどでしたが、合唱団の活動の一環として先輩の女性と二人で司会を担当、大勢の学生を相手に昼休みなどを利用して「歌唱指導」をした事で全く人見知りしなくなりました♪  それ以降、マイクを持つと饒舌になり、当時大阪の大学生の中では、 「関西大学に顧問?の様な(加藤大介:当時の PN )と言う人が居るらしい。」と言われるほどでした(微笑)。 京都で全国から集まった学生の祭典で歌ったベートーベンの「第九」の感動は今でも忘れられません。 ステージで「第九」を歌い終えた時、歓喜の為に男泣きしてしまい、客席で一緒に歌っていた学生達の顔も涙で霞みました。 大学を卒業し、不況で殆どの学生が有名企業に就職出来ない時に、ある尼崎市の鉄工所に就職しましたが、数年後会社の閉鎖により、大阪の超純水製造プラントから廃液処理装置までを設計施工・メンテナンスまで行なう会社に転職。 従業員50名ほどの小さい会社でしたが、「法人税を払うよりも、従業員への給料を増やし結果的に会社全体として、『節税』出来れば。」と言う会社でしたから給料も桁違いに多かったです♪ 毎日朝から深夜12時近くまで設計をしていたものでした。 そんな私が出張先で転落事故を起こし、右足首と左手首を粉砕骨折しました(昭和62年の事です)。 家族と遠く離れ3ヶ月の入院生活をし、自宅に戻ってからも暫くはリハビリ生活でした。

 

 

 

 例え業務上の事故であっても主要な取引先に多大な迷惑を掛けた為、復帰すると設計から総務の仕事に配置転換に・・・。 その後数ヶ月が経ち、私の「地獄の日々」が始まりました。

俗 に言う会社ぐるみの「苛め」に遭いました。 些細なミスを指摘され、一定の回数を越えると「反省して来い!」とビルの屋上に追いやられました。 精神的にもズタズタになり、駅のホームで電車が来た時に馬鹿な事をしそうになった事も・・・。 娘がまだ幼稚園の頃でしたが、「精神的に追い詰められるよりは・・・。」と退社を決意。 そして、平成元年に今の会社である三菱重工業直系のエンジニアリング会社に2度目の転職をしました。 研究所では「金属組織試験」と言う業務に従事し、研究所に居る時は試験片を磨いて、組織を出したり光学顕微鏡で写真撮影をしたり・・・。 出張では、原子力発電所に行き、配管などに亀裂が生じた時などにその原因調査を行ったり、定期検査で配管などの劣化調査を担当していました。 また、美浜発電所での死亡事故があった現場のすぐ近くをその直前まで毎日通っていたので、他人事とは思えませんでした。 そんな私も、平成17年8月から実験部と総務部の兼任となり、今では一日の大半を総務部の仕事に費やしています。 資材ユニットのリーダーとして、資材の値段交渉や発注をしたり、新規取引先との契約書を締結したり、「駐在外注」や 「持ち帰り外注」と言って我が社の仕事を手助けしてくれる人達の取り纏めをしたりと充実した毎日を送っています。 当分「貧乏暇なし」状態が続く事でしょ う。 4月からは、総務部専従になると言う事ですので、少しは楽になると思うのですが・・・。 元気で暮していますので、ご安心を♪ 長々と書いた纏まりのない文を最後まで読んで頂いた事に対して深く感謝します。

 

私の HP  「茶々と愉快な仲間達 ♪ 」  http://www.rak1.jp/one/user/19530926/   です。
 
 
 

「ふるさと」

森崎 ( 中島 ) 扶喜

 

明高同期生の皆様、ご無沙汰しておりますが、いかがおすごしですか。

私は結婚以来ほとんどを、北摂の箕面で暮らしています。ここは都会の近くですが、まだまだ自然が残っていて、毎朝近くの公園からうぐいすの鳴き声がきこえてきます。

すっかり大阪のおばちゃんになってしまった私ですが、先日明石を通る機会がありました。
 

 

 

娘の卒業式の帰りだったのですが、夜、淡路島から見る対岸はキラキラ輝き、大橋を渡って眼下に広がるまちはとても美しく懐かしくありました。今までは昼間しか通ったことがなく、大学時代の旧友と久々に徳島で再会し、すっかり学生気分になっていた上に、娘の卒業ともかさなって、少し感傷的になっていたのかもしれません。と同時に肩の力がすっと抜けたような気がしたのです。

ここ十数年、四人の親の世話と介護に明け暮れ、すべてが終わってからも心のどこかで何かを引きずっていたのですが、父の一周忌ももうすぐ来ることだし、もっとお気楽に開き直って生きたらいいんじゃないのと、ふと思えたのです。四年前に母を、昨年に父を亡くし、実家もなくなってしまいましたが、やはり明石は私のふるさとなのでしょう。少し背中をおしてもらったかなと思いながら、車を走らせていました。多分、私はこのまま大阪に住み続けるのでしょうが、この気持ちはずっと大切にしていきたいと思っています。

 

 
 
 

「♪  Parsifal

たしか3年6組だったと思う 上村千尋

妻に言われました。

わたしは今 男の更年期障害 だそうです。何事もやる気がなく、始終イライラし些細なことにも怒りっぽくなっているようです。気になってネットで<男の更年期障害>で検索したところいっぱいでてきました。更年期障害かどうかの質問事項では <異性への興味はなくなりましたか?> 以外すべてYESでした。このところ少々鬱になっているような気がします。

40代までは、それなりに日々充実感をもってすごしてきましたが、50代に入って自分が気が付かないうちに何かが変わってきているのでしょうか?

休日は一日中何もする気がしません、朝遅く起きてからずっと音楽三昧です。

高校時代から続いている趣味がレコード収集で、最近またひどくなってます、あのころと違い大人買いができます。

明高時代は受験勉強・学校嫌いでしたから、そこから逃れるように音楽に浸っていました。

学校帰りに神戸・三宮に出かけ、レコード店めぐりをしていました。特に目当てのない時は、元町の中古レコード店<ワルツ堂>・<YAMAHA>・三宮の<aoi>をひやかしてまわってました。今日は何か買うぞというときは、やはり三宮駅北の<マスダ名曲堂>でした。なぜかと言うとこの店はひやかしができません、対面販売のレコード店です。カウンターの奥に主人が静かに座って客を待っているので黙って入って商品だけ見て出てくることはできません。

「こんにちは?」「いらっしゃい、きょうは何を捜してるの?」「ベートーベンの3番、ベーム・ウィーンフィルで聴きたいんですが、、、、、」「フルトヴェングラーは?クレンペラーは?、トスカニーニはちょっとくせがつよいかな?・・・・」てなぐあいで、奥の部屋から次々とレコードが出てきます。その後商品を受け取るまで1時間くらいいろいろ教えてもらうことのできる店でした。レコード1枚に大きな付加価値がついてくる店でした。おまけに電車賃までおまけしてくれました。

「じゃ、まずフルトヴェングラーから聴きなさい。フルトヴェングラーは・・・。」「はい、ありがとうございます。そうします。」

あの頃は一枚のレコードに大きな重みがありました。何度も何度もそれこそレコードの溝が磨り減るまで聴きこんでいたように思います。

そう、私がはまり込んでる音楽は、クラシックです。親しい友人以外にはあまりクラシック趣味は話しません。変人・奇人と思われます。友人には、「おまえは変人や!」、とはいわれますが。「おまえは奇人や!」とはいわれたことはありませんが。

 

 

 

私自身クラシックのコンサートには行きません。あの雰囲気、何かなじめません。

クラシック好きが集まるところは何か異様で、自分自身浮いてしまいます。

タワーレコードやHMVで、若者をかきわけておっさんがクラシックコーナー(たいてい隅の目立たないところに隔離してある)を捜してうろうろしている姿はやはり気持ち悪いです。

クラシックのCDはやはり密やかに、ひとり目立たずに買いたい(これじゃある種のDVDと同じじゃないか)、いまはHMVのNET通販がおすすめですね。

聴く曲のタイプはあのころと大きく変わりましたが、聴きかたはかわりません。

同じ曲を何回も何回も飽きるまで聴きつづけます。異常です。

最近は一日中 ワグナーどっぷりです。車のなかでも、事務所でも四六時中音がなければすごせません。それも、<パルジファル>しか聴いていません。

前奏曲が始まるとともに金縛りにあったように、静々とその楽曲の淵に引き込まれていきます。こういう曲はまれにありますが、4時間飽きずに最後まで聴きとうせる作品ほかにあるでしょうか?

演奏はやはり クナパーツブシュ・バイロイト 62年LIVE盤が最高です。

孤高の美があります。

ショルティ、ブーレーズ、クーベリックの各盤もそれぞれカッコいいです。

これから当分のあいだ<パルジファル>を聴きつづけるでしょうが、そろそろ次にハマル曲さがしでもしようかな。

Bach?

 

 
 
 

「皆さん、元気していますか?」

青木(木村)恵美子

東京に住み始めて30年。殆ど同窓生とお会いすることもなかった私ですが、いきなり、原稿依頼のお電話をいただき、かなり、ヒヨっていますが、夏休みの終り近く宿題を片付ける学生の心境で PC に向っています。

大変ご無沙汰いたしておりますが、皆様お元気でいらっしゃいますか。

私はというと、ここ最近スポーツに熱くなっています。冬季オリンピックでの荒川静香さんの演技も気持ちも「ぶれない」素晴らしさ、そして先週の WBC の王 JAPAN の準決勝及び決勝戦での戦い、まったくシロウト(当たり前ですが)の私もテレビの前にくぎづけ状態でした。おまけに周りに熱く語りはじめるというタチの悪い副作用まで、発症しています。

そんな私もここ半年位前からスポーツジムに通い始めました。

 

 

きっかけは、人間ドックで肥満、中性脂肪は、問題なく、コレステロールが、やや高めとの診断で生活環境等から、運動不足を指摘されたことからでした。さらに自宅近くのフィットネスクラブで入会金80%オフのキャンペーンがタイミングよく行なっていたので、即決。

  これって私ハメられてないよね・・・

 いざ始めてみると、爽快です。又、コーチのアドバイスが、何故か私に即、理解実行できるスグレモノで、その1つは、クロールで腕を着水する時に「気持ち手のひら1つ前へ出す」とは言わず、「タンスの隙間に落ちている1万円札を手のひらで、はさむつもりで」これには、勿論すぐに反応でき、お褒めの言葉を頂戴いたしました。

ヒヨっている割には、話が長くなりそうなので、この辺で・・・。

最後に 原稿依頼のお電話を下さいました中村様はじめ、発送等陰で支えてくださっている皆様に感謝いたします。

 

 
 
 

『編集後記 』

新編集長募集!!

交叉点も15号となり、ひとつのの区切りを迎えたような気がします。ここ数年、このままの発行形態でいいのかずっと悩んでいました。さまざまな方に原稿依頼してきましたが、私の手もちはほぼ尽きました。もともと人に電話をかけるのは苦手ですので、毎年の原稿依頼の季節は一寸ブルーでした(編集発行作業は苦になりません)。

来年の発行で残金はほぼゼロとなります。新しい編集長が名乗り出ていただけましたら、来年号で皆様に寄付をお願いいたします。新しい方がおられなければ、私の責任は一応はたせたのではと考え、来年号発行で編集長を辞したいと思います。.

〒 673-0845  明石市太寺3 - 2 - 3

中村 守

Tel & Fax 078-9 11 -7510

E - Mail:Drmamoru@aol.com