交叉点24 

 

明高24回生通信

01/Jul./ 2000
No.8
 同期会記念号

Vol.8  2000
『わが学び舎に、よき師、よき友』 東道 修造 先生
『人的なネットワークに感謝』 坂口 喜啓       (3年3組) 
2004年に向かって』 濱口 義信       (3年5組)
『好奇心は意欲の源 安岡 祥子(旧姓 清松)(3年6組) 
『2度目のシベリア』 長谷中 利昭      (3年8組) 
『同窓会に参加して』 亀野 祐子(旧姓 下谷)(3年2組)
『明高24回生のHPができました』 西海 誠        (3年10組)
--編集後記-- 中村 守        (3年9組)


 

 

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『わが学び舎に、よき師、よき友』

東道 修造

 

そぼ降る梅雨空に濡れた紫陽花の花の色が、鮮やかに目に映る今日この頃、花々に心慰められる日々を過ごしている自分。24回生の皆さん、梅雨季の天候不順の折ですが、お元気でお過ごしでしょうか、1人1人がそれぞれの場で明高の「自彊止まず」の意気込みで、力いっぱい頑張っておられることと、期待申し上げております。

20世紀最後の年、去る2000211日、問題発言になりましたが「神の国、日本の建国記念の日」に24回生の同期会が明石のグリーンヒルホテルで開催され、ご招待に預かり出席いたしました。記憶に残る日ですね、13名の当時の先生方、100名近い同期生の方々の集い、熱気むんむんの大盛会でした。坂口氏を中心に10名の世話役の方々の長い間のご苦労に心からの敬意とお礼を申し上げます。又ご出席の11人と十分にお話をする時間がなく、一瞬のうちに過ぎ去ってしまった時の流れをうらみながらも再会できたという喜びで一杯でした。明高時代のアルバムのコピーと照らし合わせるまでもなく、高校時代の面影そのままの皆さんでした。ただ頭に白いスジが増え、女性の方は厚化粧がお似合いなのはご卒業後30年近い歳月の流れのためでしょうか。振り返って私の12年間にわたる明高在職中、多くの先輩の諸先生方から教えを受け鍛えられ、同僚の先生方から励まされながらの切磋琢磨の日々。勉強とスポーツに青春をかけ、自治の精神をもって生徒会諸活動に、又修学旅行の計画等々、1人1人が積極的に取り組まれていた皆さん、緑の木立に囲まれた学園の面影と共に明高生の素晴らしさが今なお校歌の2番となって口ずさんでしまう自分です。「よき師、よき友、よき明高生諸君」ありがとうと。

さて、同期会の宴席で、中村氏から会報に何か原稿をと依頼され、一杯機嫌で中国旅行記の1つでもよければと安請合いをしながら失念しておりましたら、河合嘉様より催促の電話を頂戴、慌ててペンをとった次第、申し訳なし。

                                       

                              

 

  ペー族のクーニャンと

若いころにパールバック著「大地」を読んで、中国に何か引き付けられるものがあり、いつか訪れ見て知りたいと念願しておりました。退職してから、中国語を習い始め、毎週土曜日の午後3時間、中国人から会話を習っております。中国の旅は12〜3回になるかナー。今回3月に雲南省を5日間歩き回りました。1つの省だけでも日本の2.5倍の広さ、中国大陸の奥深くミャンマー、ラオス、ベトナムに隣接、木造家屋、トウフ、コンニャクなど日本の食、風俗と似たところが多く、漢民族と共生する25の少数民族が住む、年中日本の春を思わせる温暖気候の地。省都昆明まで5時間余りのフライト。昆明は昨年、今は淡路で開催の世界花博の開催地ですが、私の中では麻薬等々のルートで、いろいろ問題を抱える昏迷の地が昆明という先入観があり、どのように変化発展しているかを目で見たく思っていた地。

テキスト ボックス:  とんぱ東巴象形文字世界の文化遺産の古街、四方街や万年雪を頂く5.596mの玉龍雪山、族固有の文、古さと新しさがうまく調和する歴史の麗洪を訪れ、少数民族族が280万人中100万人近く住み、大理石の産地でもあり湖と緑に包まれ大理、古城街を持つ大理の三塔寺を見学、歴史の深さを知りました。昆明は湖畔に面している花の都、春城とも言われ、見渡す限りの花畑、花と呼ばれる花市場、切り花が日本へ出荷されているのには驚きました。更に郊外の石林、2億年前の湖底がBC2000年ころに地上に、その奇岩、怪岩の立林の景観には驚きと恐怖さえ感じました。中国は廣い、奥深い、千差万別、悠々とゆっくり流れる国、言葉通り日本とは一衣帯水の国、英語の授業の動名詞の例文で、Seeing is believing.

また不定詞の文法の例文でThe best way to learn a foreign language is to go where it is spoken. としゃべった責任上、アメリカや他の国々、中国、東南アジアと出かけて行きました。いろいろと考えさせられる点が多い。「日本の中から日本を見る」のではなく、「日本の外から日本を見る」言い換えれば「外から中を」の思考を日本人が持たなければならない時代が21世紀の諸君の時代。「日本の国」というアイデンティティー、「日本人としてのアイデンティティー」をしっかり確立しなければ世界の中で日本は埋没してしまうのではないか、外に出て帰国するといつもこの思いに浸ります。

「外国へ行こう」、「外から中を」という思いは書写山山麓の山村で育ち成人し、地元の高校教員から明高に転勤した時、学園から見える瀬戸の海を眺めながらついつい口ずさむ校歌「わが学び舎は海にのぞむ」の雄大さに驚嘆した中で、培われたと思います。明高誕生の八十年以上も前の年代にすでに世界を視野に入れた精神が明高生に芽生える教育の基礎ができていたのですね。エライこっちゃ、ゴツイことですよね。

わが学び舎、明石高等学校、良き学び舎、本当にありがとう。

グローバル化に向かって大きく流れを変えなければならない21世紀の日本、24回生の諸君の双肩に重く日本の運命がかかっているのです。不惑の年代ですからね。どうか「日本」という「大地」にしっかりと足をおろして一歩一歩前進していただきたく念願し期待しつつ、皆様の今後のご発展とご健勝をお祈りしながら。

 

621日           再見

 

追記

 中国「雲南の旅」をくわしく紹介するはずの文がとりとめもなく、しまらない拙文になってしまいました。老いが廻りはじめたのか申し訳ありません。なお、NHK「雲南の旅」のビデオを取っております。ご関心のある方はお知らせください。ダビングして送ります。

 

姫路市六角543-1 ?(079266-2750

東道修三宛

 

『人的なネットワークに感謝』

3年3組    坂口 喜啓

 

 若葉の香りが満ちあふれ、風薫るさわやかな季節となりました。皆さんお元気でしょうか。(ちょうど、ワープロに向かってこの原稿を仕上げている時の時侯の挨拶から書き出させてもらいました。この2 4回生通信が、皆さんのお手元に届く頃は、もう少し後になって、暑い夏を迎える頃になっているのでしょうか・・)投稿の機会を与えていただきましたので、2月11日に開きました同期会のお礼と近況などを思いつくままに書かせていただきます。

 まず、同期会ですが、お忙しい中を参集していただいた皆さんどうも有り難うございました。久しぶり(4年ぶり)にお世話になった先生方や懐かしい方々にお会いでき、本当に楽しいひとときを過ごすことができました。

 また、参加したいと思いつつ、どうしても参加できない状況になった方々からもあたたかく心のこもったメッセージをたくさんいただき、本当に感謝申し上げます。

 2000年という記念すべき年に、同期会のお世話ができたことを大変うれしく思います。 会の準備や企画において色々とお世話になった河合夫妻ならびに中村さん。また、忙しい中をさいて、事前の打合せ会に参加し、当日の会の進行や裏方として活躍願った幹事の山西、三浦、甲斐、藤井、中桐、松本、高橋さん、(そして、二次会のお世話を擬った、浅田さん)本当にありがとうございました。このような会を開いてみて、人的なネットワークの大切さを痛感します。また、懐かしい友やお世話になった恩師のありがたさなどを感じたりして、何かしら(自分自身)いい気分にひたっています。

 返信のたよりは、誰よりも先に楽しみに拝見させていただきました。社会情勢の厳しさを受けて、仕事の大変さをあらためて感じたり、子育てがひと段落して、自分の時間が持てるようになり、新たなことにチャレンジするなど、自分自身の生活と重ね合わせてみて「なるほど」と考えさせらたり、勇気づけられたりの連続でした。

私は、前にもこの通信で書かせていただきましたが、中学校の教師をしております。神戸市の教員を約10年、その後現在の神戸大学発達科学部附属明石中学校です。教師と保護者という形で再会した人達もおり、縁の不思議さを感じたりしたものです。附中は、新しい教育研究の試行が自由な雰囲気のもとにでき、責任が大きいもののやりがいのある職場です。今も、文部省の研究開発の指定を受けています。個人的には、ここ数年の間に、国内・外の長期の研修機会(特に、カナダ、スペイン、イタリア、フランスを約1カ月にわたって視察できた海外研修が今でもハッキリと印象に残っています。)を得て、大変よい勉強ができました。そして、これらの研修を通じて知りあえた、新たな人たちとのつながり(人的なネットワーク)が何よりの財産と言えます。また、今春から、現在の勤務を続けながら、大学院(神戸大)に通っています。学生証をいただき、若い学生とー緒に色々な刺激をー杯受けながらの新たな生活を送っています。

 スケジュール的には、厳しいものがあるのですが、今は、学ぶことの新鮮さに対する思いが強く充実した毎日です。この年になると色々な顔を持ちながら、生活しなくてはならないのですが、私も中学校の教師としての顔、夫としての顔、父親(中学3年の娘と小5の息子がおります)としての顔、学生としての顔・・・・、と演じわけております。

 色々な顔のもとでのネットワークを大切に、元気に頑張っていきたいと思っています。

 

2004年に向かって』

3年5組 濱口 義信

 

 同期会の何日か前に(次回同期会幹事の)依頼の電話をいただいて、躊躇しながらも積極的で決め手になる断りの理由が見つからないままお引き受けしてしまいました。同期会当日、また後日の反省会で坂口幹事長の丁寧なお仕事内容をお聞きして、しまったなあと反省している今日この頃です。

 高校を卒業してから、高知市(高知県)、つくば市(茨城県)、善通寺市(香川県)、城陽市(京都府)と住む場所を移し、16年ほど経って明石へ帰ってきました。出身地・帰省先ではあっても、もう住むことはないと思っていたので感慨深いものがあったのを覚えています。でも早いものでそれからもう長い期間が過ぎてしまいました。

現在、同志社女子大学に勤めていますが、先日も学生たちのデータで、御両親が丁度同じくらいの年齢なのを見て改めて年齢を自覚しました。そして、来る2004年、次の同期会の時にはみんな50歳。他の人にはごまかせても同期の人たちには隠しおおせない年齢です。何とかとどこうりなく開催したいと願っていますので、みなさんも今から心に留めておいてください。大いに語り合いたいものです。

なお、私以外の幹事はまだ未定です。一緒にやってくださる方がいらっしゃれば大歓迎ですので是非ご連絡下さい。

(硬式野球部、次回同期会幹事)

 

Tel.078-934-2683

E-mail;IZC02760@nifty.ne.jp

 

『好奇心は意欲の源』

3年6組 安岡(清松) 祥子

 

 新しく車を買い替えることになった。といっても、私自身は、運転免許証も持たず、我が家の車種やナンバーさえも満足に答えられないほど車に関しては、今まで、無頓着に暮らしてきた。ただただ「乗せてもらう人」であった。それが今回、息子が運転免許を取得し、「どんな車にしようか」と家中で捜し始めてからの自分の変わり様と言ったら…・。

 テレビに車のCMが流れると思わず見入ってしまう、新聞に新車のチラシが入ると値引き額をチェックする、外に出れば、通り過ぎる一台一台に目をやり、駐車場で目を引く車があれば、傍まで寄ってメーカーと車種を調べるといった有り様である。車専門の月刊誌を買い込み、図書館で関連した本を借り、販売店にも初めて足を運んだ。我ながら、その変わり様に驚くばかりである。

人間、あることに興味を持つと、放っておいても、見えないアンテナが働き、今までキャッチできなかった情報が、至るところから飛び込んでくる。興味を持つ、持たないのこの違いは一体なんなのだろう。自分自身を振り返ってみると、真面目で責任感は強いが、羽目は外さず、言われたことはするが自分から興味をもって熱中するタイプではなかった。親の望むように生きることが当然のように思っていた。それが、近年、子育ても一段落し、時間的、精神的、経済的に少し余裕が出てきたのか「面白そう、やってみよう」と思ったことは実行に移すようになった。昨年は、イタリアに夢中になり、イタリアの歴史、美術、食べ物、紀行文などを片っ端から読んでは、夢を馳せ、ついには、イタリアの土を踏んだ。また、好きなミュージンャンのファンクラブにも入り、コンサートでは立ちっぱなしで、手拍子を打ちながら楽しむことも覚えた。

 「知りたい」「好き」という感情なくしては、より深い知識は身につかない。好奇心は意欲の源である。そして、せっかくの夢や好奇心を認め、応援してくれるものが傍にいるからこそ、安心して、好きなことに歩み出せるのだと思う。幸いにして、家族や周囲の心優しさ人々に支えられ、後れ馳せながら人生を楽しみながら、豊かに生きることを考え始めている昨今である。

 今、学校では、子ども自らが課題をもち、月分で調べ、考えながら課題を解決し、表現する学習に変わってきている。子ども達の興味や関心をどう引き出し、広げ、深めていくか仲間の教師達と研究を進めている。好奇心は意欲の源、子どもの夢や好奇心を認め、応援してやることを心がけて、日々邁進していきたいと思う。

(明石市立人丸小学校勤務)

 

『2度目のシベリア』

3年8組 長谷中 利昭

 

 98年12月より転任して単身赴任をしております。料理はうまくなりませんが、毎日苦にすることなく自炊を続けています。 調査のため、99年夏に2度目のシベリア旅行をしました。その時の話です。

(1)   車や道のないシベリア(正確にはトゥバ共和国)での調査ではひたすら歩きました。川にはもちろん橋などかかっておらず、水温の低い水がかなりの速さで流れているところを膝上から腰まで使って渡るのはかなり恐怖感を感じました。できるだけ川幅が広く深みがないところを、経験の多い人に偵察してもらい、皆でスクラムを組んでわたりました。冷え切った体でとぼとぼと山小屋まで歩いて帰り、そこで一気に空けたウオッカのおいしさは今でも忘れられません。

(2)シベリアの学者たちは1万円以下の月給で生活しているのですが、多くは農園付きの別荘(ダーチャ)か研究所の農園割当てを持っているので、初夏から夏にかけて野菜作りに励み、夏は出来たてのおいしい野菜(有機農法、無農薬)を食し、冬に備えて保存食づくりに余念がありませんでした。見ていて本当に健康的な生活で羨ましく思いました。

(3)シベリアの研究所はなんとも薄暗いです。徹底した省エネです。秋田に連れてきた研究者も「だって必要ないでしょう」と言って机の上のランプ一つだけで部屋を暗くして仕事をしています。

(4)かつてシベリアに抑留された方々を偲んで、朝昼と黒パン(ライ麦パン)だけをかじったりしてみました。3年間の抑留生活を経験した岳父と話をする機会ができたので、その話をしたら、「黒パンなど出たらオーチンハラショーですよ。水のようなスープをすすっていたんです」と言われて、返す言葉もありませんでした。岳父の「しかしロスケは人種差別をしなかった」という言葉が妙に頭に残りました。もっと話を聞く機会が出来ればと思っていた岳父もこの11月に永眠してしまいました。無念です。合掌。

 

以下はシベリア駐在の先生が書かれたシベリア便りからです。

【ロシアでは食事を囲む時に時として持ち歌を歌うよう求められることがあります。長谷中先生が調査から戻って来られた土曜日に野外調査での話をアパートで聞きました。調査隊は先生を含め8名から成っていたようですが、夕食時には頻繁に歌が歌われたようです。今回のパートナーのユーリさん(地質研究所)はギターを調査地まで運ばれ、また厚い歌曲集まで持ってこられ、自慢の歌を毎夜披露されていたようです。この歌を歌う役回りはほぼ全員に周ってきます。

  日本ではカラオケ文化が発展しておりますが、日本人でカラオケなしに複数の持ち歌を完全に歌える人は少ないように思われます。当初、長谷中先生は歌うのを遠慮しておられましたが、1週間近くの調査中どうしても日本の歌を歌わざるを得ない状況が訪れました。このような場合に日本人が選択する歌は、完全に歌詞を把握している童謡になることが多いのではないでしょうか。長谷中先生は『赤とんぼ』を歌われたようです。私もかつてそのような状況で童謡『ちょうちょ』を歌った事を思い出しました。】

 

秋田大学工学資源学部

附属素材資源システム研究施設

  hasenaka@rimr.akita-u.ac.jp(秋田勤務先)

  hasenaka@mb2.seikyou.ne.jp(仙台自宅)

 

『同窓会に参加して』

32組 亀野(下谷) 祐子

 

明石駅からグリーンヒルホテルまでの数分間、今日はどんな人と再会できるかと胸を躍らせながら歩きました。会場につくとそこには懐かしい顔、顔、顔。ちょっぴり恥ずかしいいような、不思議な緊張感を味わいながら同窓会が始まりました。4年ぶり、8年ぶり、そして28年ぶりに会った人、それぞれの人が46歳の風貌のなかに高校時代の面影を残し、集いあっていました。子供の話、仕事の話、近況などに話の花が咲きすぎて、つい先生方の御言葉を聞きそびれてしまった事、残念に思うとともにお詫びいたします。しかし、小倉先生がおっしゃいました様に、私達の時代が明高にとっても一番良き時代ではなかったかなと心から思います。

私の大好きだった校歌を胸が熱くなるような思いで合唱し、明高生であった事の誇りをさらに深く感じる事が出来ました。

一次会だけのつもりがつい二次会へも参加し、そこでも時間の経つのを忘れ思い出話、今回会えなかった人の話等々、話は尽きませんでした。

次に語り合う日は50歳、それまでにはまた色々な事があると思いますが、さらに成長して健康で集い合える事を楽しみにしています。

皆さんお元気で!!最後に今回の同窓会を企画運営して下さった幹事の皆様、本当にありがとうございました。

 

『明高24回生のHPができました』

3年10組 西海 誠 

 

こんにちは。皆さん元気で頑張っていますか?

いつも『交叉点』を見ては当時の風景を思い浮かべたり自分も頑張らなければと勇気付けられたりしています。皆さんはどうですか?『交叉点』がこれからもますますそういう存在になるのではないでしょうか。

そんな『交叉点』を編集発行して頂いている編集部の皆さんには感謝の念が絶えません。

その河合君が昨年だったか一昨年だったか(年齢の所為か記憶が薄れるのが早くなった)に、インターネットを利用して24回生のみんなと情報の交換やまたネットでの支援のようなことできないだろうかと問い掛けてきた事がありました。

これまでの『交叉点』は偏に編集発行に携わっている人達が苦労を重ねて、みんなの交流の場を作れればと歩んで来たのではないでしょうか。一方通行ではなく、もっとみんなが参加できる交流できるそういう場を作りたいと願ってくれている、と彼等の想いをそう感じました。

彼等の熱意のおかげでようやく『交叉点』のホームページが出来上がり、掲示板で情報のやり取りが出来ます。これはもう一冊の『交叉点』がスタートしたということでしょう。この『交叉点』は誰かが作るのではなく、自分たちでそして皆で作る『交叉点』だと思います。昔を懐かしみそして現実を直視しながら『交叉点』を永らく続けられるようみんなで頑張りましょう。

 

http://sbckobe.co.jp/haruka/default.asp

 

--編集後記--

 

この号はさる211日に行われた同期会の記念号とし、発行も本来の初夏に戻し、次回幹事の濱口君にも原稿を書いていただきました。“24回生通信基金”も残金と皆様の振込みが111,188円、そして同期会会場での寄付40,000円、直接渡していただいた2,000円の計153,188円となり、次回のアテネ五輪の年まで発行できる目処が立ちました。

東道先生の中国旅行記はいかがでしたでしょうか?愚息の担任が偶然に24回生の清松さんで、あつかましく原稿をお願いしたところ快く引き受けていただきました。原稿を募集します、葉書、手紙、メールどんな形でも結構です、ふるって寄稿してください。

 

673-0845 明石市太寺3-2-3 中村守

Tel078-911-7510  Fax:078-936-0477

E-mailDrmamoru@aol.com